「詩と哲学のあいだ」プログラム(6)

「詩と哲学のあいだ」というテーマを最後に向かわせたいのは、現代詩とポストモダニズム思想の関係というあたりです。まさに私をも含むところの、1980年代から90年代にかけての現代詩の展開は、フランスを中心とするいわゆる現代思想の潮流と──それをなお哲学と呼ぶことができるかはともかくとして──切り離すことができないと思われます。
以下、回想です。そのころ私は何をしていたのかというと、遅まきながら青春の終わりのひとつの記念のように第一詩集『川萎え』を出した直後で、今後の展開をあれこれ模索していた時期でした。バブルに浮かれることもなく、すでに十分に貧しく、でもまあそれなりに時代の空気を吸って、そうです、まさしく詩におけるポストモダンを体現しようと、悦ばしくも悪戦苦闘していた記憶があります。
ようやく詩の仲間もできて、河津聖恵、川口晴美城戸朱理高貝弘也、田野倉康一、浜田優、広瀬大志守中高明といった面々ですけど、みんなぼくよりひと世代ぐらい下なんですね。まあぼくのデビューが遅かったとうこともあるのですが、みんな若いから意欲があって、こちらも大いに刺激を受けました。城戸さんは「戦後詩を滅ぼすために」という旗を掲げて、いちばんジャーナリスティックに動いていました。ポストモダニズム思想との関連でいうと、なかんずく、守中さんですね。彼はフランス現代思想の申し子みたいな人で、とくにデリダに傾倒していました。私も、まあ守中さんほどではないにしても、フランス現代思想をちょっとかじっていて、でもデリダよりはドゥルーズが性に合っていたみたいで、その思想を援用したランボー論を書いたりしていました。「ノマド」とか「逃走線」とか、「脱領土化」とか「文学機械」とか、そういう概念装置ですね。ぼく自身の詩にも、とくに80年代末から90年代初めにかけて出した『わがリゾート』や『反復彷徨』という詩集には、そういう思想の影響が認められると思います。
ドゥルーズの著作として思い出深いのは、とりわけ『リゾーム』ですね。『千のプラトー』(ガタリとの共作)の序文の部分を独立させて先行的に公刊したのが『リゾーム』ですが、豊崎光一訳によるその日本語版のそのまた復刻版、私が読んだのはそれでした。そうしてこの書物が、書物と言うよりはパンフレットのような軽さながら、私の詩作にある決定的なヒント、いやインスピレーションを与えてくれたんですね。もとよりあの独特な「欲望機械」も「器官なき身体」もそれとして理解されたわけではないのですが、訳者の言葉を借りれば、まさに「リゾーム」という名の、縦横に走りまわる「永久的な反抗」の「爽快なアナルシー」、それに私はやられたのでした。
回想終わり。以上、思いつくままに「詩と哲学のあいだ」プログラムについて語ってきましたが、いつの日にか、このプログラムに沿って、ただしもう還暦を迎えてしまったので、果たして計画通りに実現できるかどうかわかりませんけど、わが批評のライフワークを書き始めようと思います。