ポエジー派宣言(1)

先日、ちょっと不思議なことがありました。「詩と思想」誌が「暗黒の青春」特集を組むことになり、ついては私に、ゆかりの場所を歩きながら、私の「暗黒の青春」を語ってほしいとのオファーを受けたんですね。この私が、そんなに暗い青春を送ったようにみえるのでしょうか。しかしまあ、ありがたいお話ですから二つ返事で引き受け、さてどこを歩こうか。たとえば出身大学のある早稲田界隈、なつかしいことはなつかしいけど、しかしあまりにありふれていますよね。一年間下宿して怠惰と愛欲にまみれた西荻窪、しかしこちらもねえ、あまりに散文的というかなんというか。そこで思い切って、結婚するまでの30年間を過ごした生まれ故郷、なつかしくもおぞましい埼玉県入間市近辺をご案内しながら、わが「暗黒の青春」を語ることにしました。
かくして、4月上旬のある日、西武池袋線入間市駅で、「誌と思想」編集委員の詩人伊藤浩子さんと落ち合い、インタビューのスタートです。彼女の運転する車で入間市を縦断する国道16号を南下し、この近くを不老川が流れています、あ、このあたりに初恋の女の子が住んでいました、あれが6年間通った小学校です、なんて言いながら案内しました。不老川は私の第一詩集『川萎え』に出てくる川で、伊藤さんはてっきり虚構の川だと思っていたそうですが、実は実在する一級河川で、荒川の支流の入間川の、そのまた支流なんですね。しかし私のイメージとしては、詩篇「不老川」から自作引用すれば、「どこからともなくきらめきだし、どこへともなく消えてゆく地のほそい傷痕」という感じなんです。
詩人は誰だって、もしほんとうに詩人ならば、なぜか川と親しい。ウソだと思うなら、たとえば宮沢賢治には北上川が、ランボーにはムーズ川が欠かせなかったし、ルネ・シャールにいたっては、いつもソルグ川のせせらぎが側面からこの闘争の詩人を支援していたのでした。それらに比べると、なんとも貧相なわが不老川ですけど──
などと語りながら、すると突然、あたりが暗くなって、いつのまにか、私がハンドルを握り、助手席には初恋の女の子が座って、ふたりで夜の国道をドライブしています。いわゆるタイムスリップというやつですね。じっさい私は、20代の前半に、ほんの一時期、憧れの彼女とつきあったことがあるのです。「雨の夜のドライブが好き」と彼女は言ってくれました。生涯に私が聞いた最高に忘れがたい言葉です。ワイパーが雨の空間をかき分けていくようにして、そのあと私たちは、つかのまの、しかし永遠の夜に属してもいる闇の奥の奥のほうへと紛れ込んでいくのでしたが、そこから私は、つぎの瞬間にはもう、もとの伊藤さんの車に戻っていました。