こねこねぱにっく

こねこね、こねこね、こねこねこねっぱ、こねこね、こねこね、こねこねぱねっこ! 人の一生は幼少期で決まる、とよく言われますけど、ほぼその通りだろうと思います。私は埼玉県西部の農家の生まれで、ぼくという生のベースには土の記憶、土の匂いが詰め込まれています。〈大地〉〈女〉〈言語〉をめぐる(シュール)リアリズムがぼくの基本で、〈世界〉とか〈歴史〉への抽象的ないしは超越的な視点は苦手とするところです。
それはともかく、たとえば小さい頃、夏によく食べさせられた「あぶらみそ」なる料理は、正式名称ふうにいえば「なすの鍋しぎ」とかになるのか、しかし母が作るとなすの色が落ち味噌とまざって文字通り泥のようになってしまい、当時は「こんなもの食えるか」と悪態をついたものです。でも母が亡くなってからはしきりとなつかしく、自分で作ってみたりもするのですが、つい上品な(?)出来になってしまう。またたとえばうどん。かつて、武蔵野の畑作地帯の農家には、なにかハレの日があると嫁がうどんを作って客人をもてなすという習慣がありました。地粉で作るのでこれも泥のような色合いになるんです。
まだ母が元気だった頃のある日、久しぶりに姿を見せた風来坊のぼくに、母はうれしくなったのか、そのいわゆる武蔵野うどんをふるまってくれたことがありました。塩水をまぜた地粉を捏ねて玉にしてゆくのですが、母の額にうっすらと汗が滲み、その汗が粉に落ちても、もちろん気になりません。玉にしたあとは、ビニールをかけてさらに足で踏む。こうするとコシが出るんです。それからすこし寝かせたのち、菜切り包丁で切り、ぐらぐらと沸き立つ大鍋に投じる。精進揚げとともに生醤油さながらの濃いつゆでいただく素朴なもりうどんは、もちろんプロの味ではないけれど、しみじみと美味かった。母のてのひらの味であったのでしょう。
東京のマンションに戻ったぼくは、ひそかにそば打ち道具一式を買い込んで、母を真似して、しかしうどんではなく、よりむずかしそうなそばに挑戦してみることにしました。しかし、粉を捏ねることに変わりはありません。それはどこか子供の泥遊び、粘土遊びに似ています。そういえば、フランスの哲学者ガストン・バシュラールの著作に『大地と意志の夢想』というのがあり、その一章がまさしく「捏粉」というタイトルなんですね。粉を捏ねることがいかにわれわれの存在の大地的根源に結びついているかを、それは物語ってはいないでしょうか。ちなみに、バシュラールにも農民の血が流れているようです。また、そのバシュラールの翻訳でも知られた先師渋沢孝輔先生も、信州の大きな養蚕農家の出身でしたし、そしていうまでもなくランボー、渋沢先生のもとでぼくが研究したあのランボーも、度しがたいまでに農民の血をひいていました。
うどんに戻って、愛の行為も、すくなくとも男性の側からすれば、相手のからだをこねるようなところがありますね。愛すなわち詩だから、詩も捏粉の一種でしょうか。こねこね、こねこね、こねこねぱにっく、こねこね、こねこね、こねこねくにっぱ!