2009-01-01から1年間の記事一覧

宇宙と息とマトリックスと──賢治・中也・道造をめぐって(その6)

「のちのおもひに」後半の2連はこんな感じです。夢は そのさきには もうゆかない なにもかも 忘れ果てようと思ひ 忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう そして それは戸をあけて 寂寥のかなたに 星くづにてらさ…

宇宙と息とマトリックスと──賢治・中也・道造をめぐって(その5)

そのぶん、私は知らず知らずのうちに、道造のほうに近づいていったのかもしれません。直接その詩を読んだりはしていないのに、いわばその詩の影のようなものはたえず身近に感じていた、みたいに。 道造の詩というのは、一般的イメージとしては、高原を舞台に…

宇宙と息とマトリックスと──賢治・中也・道造をめぐって(その4)

ところがです、以上のような理由で漠然と中也を卒論にと思いながら、そろそろ準備にとりかからなければならない時期になっても、どうも気がすすみません。なぜだろうと思ううちに、突然に気がつきました。現代詩を書くということは、ある意味で中也を離れよ…

宇宙と息とマトリックスと──賢治・中也・道造をめぐって(その3)

もちろん賢治はランボーなんて全然読まなかったでしょうし、仮に読んだとしても、詩人としての目標や社会との関わり方がかなりちがっていましたからね、あまり共感はもたなかったかもしれません。でも、なんといったらいいのか、ポエジーというもののあらわ…

宇宙と息とマトリックスと──賢治・中也・道造をめぐって(その2)

このような賢治理解に接するにつけても、私はふと、ランボーを思い出します。ランボーというと、その作品から直接影響を受け、またそのユニークな翻訳でも知られる中也との比較がまず考えられるところでしょうけど、私に言わせればむしろ賢治です。賢治こそ…

宇宙と息とマトリックスと──賢治・中也・道造をめぐって(その1)

宮沢賢治、中原中也、立原道造。近代詩人のなかでもっとも人気のある三人ですよね。でも私にとっては、賢治について論考を一本書いた以外、これまであまり言及してこなかった三人です。そこでこのあたりで、まとめてめんどう見てみようかと。 きっかけはとい…

あなたは漢文脈系?和文脈系?(その2)

ならば、母なる身体の痕跡の方へ。でもそんなの、あんたの趣味にすぎないじゃん? 漢語漢文脈のほうが力強くて好き、というやつだっているだろうが? もちろんそうです。そうにはちがいありません。 詩についていうなら、たとえば近代最大の詩の変革者萩原朔…

あなたは漢文脈系?和文脈系?(その1)

突然ですが、日本語の表記、いやエクリチュールについて少し考えてみます。 古代の私たちの祖先は長い間文字をもちえませんでした。そこへ漢字が到来して、彼らはそれを二通りに使用したわけです。ひとつは音を転記するただの記号として。やがてそれはひらが…

通り過ぎる女たち

朝日カルチャーセンター横浜というところで、「フランス詩を探す時間の旅」という講座をもつようになってから、ほぼ一年が経ちます。だいたい3ヶ月ごとに内容を更新しますが、昨年秋はランボーを、今年冬はルネ・シャールを読みました。ランボーは私のかつ…

歴程・夏の詩のセミナーを終えて

「歴程・夏の詩のセミナー」を終えて戻ってきたところです。ここ数年、セミナーは福島県いわき市の草野心平記念文学館を主会場にして行われていましたが、今年は藤村記念文学館のある木曽馬籠に移動して、その「馬籠ふるさと学校」(古い小学校校舎を改築し…

今年上半期の詩集から(2)

新鋭の仕事がつづきます。 佐藤勇介さんの『She her her』(思潮社)はとびきりユニークです。大きめのビジネス手帳かとみまがうサイズの本に、せいぜい見開きページ程度の、矩形にレイアウトされた詩群が収められていて、読むと、これがまた、混線した電話…

今年上半期の詩集から(1)

今年上半期に出た詩集から、とくに印象に残っているものを挙げておきましょう。まず、岩切正一郎さんの『エストラゴンの靴』(ふらんす堂)。いわゆるポエジーを感じさせるところの、すてきな詩集です。たとえば一本の木があるとします。やがて鳥が止まりに…

国語学原論(その2)

この現象にくらべれば、若者言葉のたぐいは語彙論的レベルの混乱にとどまり、私から言わせればむしろほほえましいくらいなんですね。最近も年少の詩友のひとりから、『あふれる新語』(大修館書店)という本をすすめられ、ぱらぱらとめくってみました。まあ…

国語学原論(その1)

詩は言語文化の精華であるとされる以上、詩人が言葉に敏感であるのはいうまでもありません。それはしかし、たとえば国語を正すというような態度とはちがいます。私もふだんはあまり目くじらたてないほうですし、むしろ言葉は規範をすこしはずれているぐらい…

北島あるいは「抵抗」と「流亡」

かたくて歯が砕けそうな話。でも、読んでください。北島に会ってきました。5月28日、早稲田大学文学部34号館大教室。いまさら紹介するまでもないと思いますけど、北島は芒克らとともに雑誌「今天」を創刊し、中国現代詩を革新しました。その後、天安門…

もしも私から母語が奪われたとしたら

今回は仮定法からいきましょう。もしも私から母語が奪われたとしたら、どうだろうか、と。母語は詩人のほとんど血液ですからね、それなしには一日たりとも生きてはいけません。たぶん私は狂い死にしてしまうか、命を賭して母語を取り戻そうとするでしょうね…

「詩ノ窟」探訪

週末、京都に行ってきました。河津聖恵さんが主宰する「詩ノ窟」というイベントに参加するためです。仕事の関係で昼間の研究会には間に合いませんでしたが、朗読と親睦の夕べには完全参加することができました。 まず、会場が面白かった。京都駅まで出迎えて…

谷川さん、宇宙から詩が届きました

3月30日午後11時50分、東京駅八重洲南口。私はミッドナイトつくば号という深夜バスの乗り場にいました。なんでそんなところに? そう、これからつくば宇宙センターというところに赴き、宇宙ステーションにいる若田光一さんと交信するのです。昨年9月…

古典への回帰

どうも最近、古典が復活しているようですね。いまも隣でかみさんがジョイスの『ダブリナーズ』に食いついています。新訳が出たんですね。いいことです。詩はともかく、小説は、とくにその物語的側面にかぎっていえば、昔話の6つのタイプみたいな祖型があっ…

詩脳ライブをやりました(その2)

詩脳ライブはまず、3人の詩人──岩切正一郎、川口晴美、城戸朱理──の朗読から始まりました。 つぎに、私が聞き役になって、「藤井貞和に聞く〜詩はいつから脳に入り込んだか」。「いつから」というのは発生あるいは起源を問う問い方で、少々無理があります。…

詩脳ライブをやりました(その1)

詩脳ライブ(ディレクター野村喜和夫、プロデューサー野村眞里子)というのをやりました。3月5日、代官山のシアター代官山というところで。劇場は子供の俳優を養成する劇団ひまわりの持ち物で、かわいい少年少女がうようよしていましたが、なぜそんなとこ…

いにしえのAV女優たちのバラード

温暖化のせいか、雪が降らなくなりましたねえ。それから、タレントの飯島愛さんが亡くなりました。えっ、何それ? 関係ないじゃん。そう、遠いこのふたつの事象をどうやって関係づけるか、それがまあポエジーなわけで。 昔は私の生まれ育った東京近郊でも大…

私の連詩修業(その2)

前回は私が連詩にハマるにいたった経緯を紹介し、あわせて宇宙連詩への招待をも試みましたが、今回は連詩の実際について少し考察してみようかと。 連詩の最大の勘所は、いうまでもなく、詩から詩への連続不連続の妙、いわゆる「付け合い」にあります。前の詩…

私の連詩修業(その1)

今回は連詩について書いてみましょうか。 私が連詩という形式に関心をもつようになったのは、はるかな昔、オクタビオ・パスら欧米の著名な詩人たちが試みた『Renga(連歌)』という共同作品の存在を知ってからです。彼らの試みは、個性と独創を重んじる西欧…