私の連詩修業(その1)

今回は連詩について書いてみましょうか。
私が連詩という形式に関心をもつようになったのは、はるかな昔、オクタビオ・パスら欧米の著名な詩人たちが試みた『Renga(連歌)』という共同作品の存在を知ってからです。彼らの試みは、個性と独創を重んじる西欧近代的な詩人主体というものに対する根本的な疑義から生じたらしく、詩作にたずさわる者として無視できない側面をもっているように思われました。まだこっちは学生の頃でしたけど。
そして私の関心を決定的にしたのは、ほかならぬ「連歌」の伝統の国の現代詩人大岡信が、パスらのその試みを引き継ぐように、1980年代でしたか、国際的な舞台でつぎつぎと共同詩を制作したことでした。そこには、翻訳の問題や文化の違いを超えて、詩作をともにする悦びの波動が、複数の署名のあいだをまぎれもなくうねっています。
いったいどうしてこんなことが可能になるのか。実は、パスらの試みとは別個に、大岡さんご自身の、連詩のパイオニアとしての長い試行の歴史があるんですね。そうした実績のもとに大岡さんは、1990年代末から、出身地である静岡県の全面的なバックアップを得て、年一回開催の「しずおか連詩の会」をスタートさせ、現在に至っています。「しずおか連詩の会」は、北島(ペイ・ダオ)ら海外からの詩人も含めた多彩なメンバーを毎年揃えて、年ごとに趣のちがった共同創作を繰り広げ、なおそのうえ、三日間にわたる制作(ホテルにこもって行われる)のあとには、一般公開の発表会が組まれていて、聴衆はそこで、詩から詩への連続不連続の妙の説明やその舞台裏のエピソードなどを、参加詩人の口から直接聴くことになるわけです。
 以上のような経緯を知るにつけても、機会があれば自分も手ほどきを受けて、自由闊達な詩の精神をわがものとしてみたい、とまあ、そんなふうに思っていたところへ、三年前、大岡さんご本人からの「しずおか連詩の会」へのオファー、もちろん二つ返事でお引き受けしました。どころか、以後も毎年参加することになって、要するに、連詩にすっかりハマってしまったというわけです。さらには、ネット上で展開する「宇宙連詩」なるものの捌き手も引き受けて、これはその過半を世界各地からの公募作品で織りなしてゆくという、ヴァーチャルながらひらかれた「座」の可能性を模索するものですが、いかかですか、みなさんも参加されては。「宇宙連詩」で検索してみてください。現在(一月末日現在)、全26詩のうち、第20詩まですすみ、第21詩から第24詩まで公募です。25詩は若田宇宙飛行士が宇宙から寄稿、それを受けて谷川俊太郎さんが締めくくることになっています。