2012-01-01から1年間の記事一覧

ポエジー派宣言(4)

こうして、暗と明、死と生のコントラストが描き出されたあとで、第3連、ようやく作中主体「わたし」に焦点は結ばれるのですが、それはまず、軽い換喩的な視点の相対性をともなっています。なぜなら、ふつうは人が自分の影を運んでゆくのに、ここでの「わた…

ポエジー派宣言(3)

しかし、宣言するからには、ポエジー派なるものについて、もうすこし一般的普遍的な意味づけが必要でしょう。そこで、昨年のノーベル文学賞受賞詩人トランストロンメルの詩集『悲しみのゴンドラ』(エイコ・デューク訳、思潮社)に所収の詩「4月と沈黙」を素…

ポエジー派宣言(2)

そうして私たちは、県境を越えて東京都に入り、横田基地の手前(そのさきには吉増剛造さんの生まれ育った町、福生があります)、箱根ヶ崎というところまで行って引き返しました。国道16号を今度は北上です。入間市とその北の狭山市(私がはじめて抱いた女の…

ポエジー派宣言(1)

先日、ちょっと不思議なことがありました。「詩と思想」誌が「暗黒の青春」特集を組むことになり、ついては私に、ゆかりの場所を歩きながら、私の「暗黒の青春」を語ってほしいとのオファーを受けたんですね。この私が、そんなに暗い青春を送ったようにみえ…

「詩と哲学のあいだ」プログラム(6)

「詩と哲学のあいだ」というテーマを最後に向かわせたいのは、現代詩とポストモダニズム思想の関係というあたりです。まさに私をも含むところの、1980年代から90年代にかけての現代詩の展開は、フランスを中心とするいわゆる現代思想の潮流と──それを…

「詩と哲学のあいだ」プログラム(5)

とはいえ、話を戻しますと、この詩には、とりわけそのパセティックな語調には、ニーチェの影響が色濃く反映しているといえます。正確にいえば、生田長江訳ニーチェですね。昭和4年、朔太郎は「「ニーチェの抒情詩」というエッセイを発表していますが、その…

「詩と哲学のあいだ」プログラム(4)

先走りました。じっさいの作品を読みながら、そのあたりのことをたしかめてみましょう。 漂泊者の歌日は断崖の上に登り 憂ひは陸橋の下を低く歩めり。 無限に遠き空の彼方 続ける鉄路の柵の背後に 一つの寂しき影は漂ふ。ああ汝 漂泊者! 過去より来りて未来…

「詩と哲学のあいだ」プログラム(3)

こうして、ハイデガー、シャール、ツェランという三角形が出来上がります。それは、詩と哲学をめぐるもっとも劇的で興味深い、そしてまたもっとも謎を孕んだ三角形といえるでしょう。なにしろ、20世紀西欧最大とされる哲学者と、フランス現代詩の最高峰と、2…

「詩と哲学のあいだ」プログラム(2)

さてそのハイデガーと交友があったのが、20世紀後半のフランスを代表する詩人のひとり、ルネ・シャールです。このレジスタンスの闘士が、ナチズムとの関係が取り沙汰されるドイツの哲学者となぜ友人になったのでしょう。実は私は、シャールの詩が大好きで…

「詩と哲学のあいだ」プログラム(1)

もう2年前のことになりますが、私と吉田文憲さんとの共同主宰で、「詩と哲学のあいだ」研究会というのを発足させました。以来、2ヶ月に一度のペースで会をひらき、現在にいたっています。場所は拙宅。集まる面々は若手を中心にした詩人、研究者、編集者など…

瞬間の雪

雪について書きましょう。できれば雪と詩との関係について。今年は記録的な寒冬で、雪国の生活はさぞかし大変であろうと思われます。しかし、関東平野に生まれ育った私にとっては、雪はある種の僥倖をもたらす徴でもあるかのようで、大げさにいえば降雪を機…

廃墟について

前回は廃墟のような街をゆく夢の記述で終わりましたが、じつは東日本大震災以降、ずっと廃墟について考えつづけているような気がしています。震災直後のポエジー夜話特別篇でも、そのものずばり、廃墟をテーマにした詩を書きました。以下はその散文バージョ…

夢でもよく私は街をさまよう(2)

たとえば新宿駅の地下街の奥の奥あたりでしょうか、びっしりとほとんど境目もなく連なった居酒屋のどれかで、あるいは無数の座敷をもつ巨大なひとつの居酒屋のどこかで、何かのパーティーの二次会を私の仲間たちがやっているはずなのですが、いくらさがして…

夢でもよく私は街をさまよう(1)

2005年に河出書房新社から刊行した私の長篇詩作品『街の衣のいちまい下の虹は蛇だ』は、そのほぼ12年前に思潮社から出した詩集『反復彷徨』以来の大がかりな都市詩篇です。『反復彷徨』は渋谷の谷から丘へ、丘から谷へ、いくつかの未知の痕跡を辿る詩…