「詩と哲学のあいだ」プログラム(2)

さてそのハイデガーと交友があったのが、20世紀後半のフランスを代表する詩人のひとり、ルネ・シャールです。このレジスタンスの闘士が、ナチズムとの関係が取り沙汰されるドイツの哲学者となぜ友人になったのでしょう。実は私は、シャールの詩が大好きでして、論考を一本書いたほか、いつの日か刊行されることを夢見て、その訳詩の仕事もすこしずつすすめているんですね。シャールとハイデガーの関係もぜひとも調べて書いてみたいと思っていますが、いま直感でいえることは、ハイデガー的な意味での「ピュシス」を、あるいは「大地」を、シャールも深く豊かに分けもっていたということです。
もうひとり、ユダヤ系で、20世紀ドイツ語圏最高の詩人とされるパウル・ツェランも、ハイデガーと交友こそありませんでしたが、その哲学には深い敬意を払っていました。それだけに彼のナチズムへの荷担がどうしても納得いかず、ある年、よく知られたエピソードですけど、トートナウベルクにあったハイデガーの山荘を訪れます。そのとき書かれたのが、そのタイトルもずばり、「トートナウベルク」という詩です。もちろん後期のツェラン特有の切迫した吃音的な書法で書かれているので、きわめて難解ですが、前半のみ引用してみましょう。

アルニカの花、眼の慰め、
石づくりの賽をいただく
井戸からの一飲み

小屋の
なかの

とある冊子のなかに
──ぼくより前に誰の名を
この冊子は記載した?
この冊子のなかに
しるされている
一行、
思索する者の
心のなかの
きたるべき言葉への、今日の
希望についての一行、
                           (飯吉光夫訳)

いったいツェランハイデガーにどんな「きたるべき言葉」をもとめていたのでしょうね。しかしハイデガーは沈黙します。ツェランは落胆して帰路についたとされ、一方ハイデガーは、「パウルは病気だ」と、この「死のフーガ」の詩人に狂気のきざしを見て取ります。じっさい、数年後、ツエランはセーヌ川に投身自殺をとげることになるわけですが──。