夢でもよく私は街をさまよう(2)

たとえば新宿駅の地下街の奥の奥あたりでしょうか、びっしりとほとんど境目もなく連なった居酒屋のどれかで、あるいは無数の座敷をもつ巨大なひとつの居酒屋のどこかで、何かのパーティーの二次会を私の仲間たちがやっているはずなのですが、いくらさがしてもみつかりません。別の居酒屋に寄り道して油を売っているうちに、私だけはぐれてしまったのです。廊下を右に折れたり左に折れたり、やがて襖につきあたり、その向こうがにぎやかなので、ここだなと襖を開けると、そこは見知らぬ人たちの宴会。しかし奥にさらに襖があるので、まっすぐにすすんでそれも開けると、また見知らぬ人たちの宴会です。そんなことを繰り返しているうちに、時間だけが経ってゆく。襖から襖へ、廊下から廊下へと、なおも私はさがしてみますが、いまやどの座敷にもひとりふたり酔客が残って相手にからんでいたり、吐きそうになっていたりするだけで、調理場をのぞくと板前さんたちはもうそれぞれの持ち場を片づけ始めています。それにしてもなんという広さでしょう。歩き回るうちにうんざりしてきて、とある出口から地上に出てみると、おいおい、もう夜が明けているではありませんか。
またたとえば、ただでさえ下町といった風情の街がさらにもうひとつの街に折り畳まれているようなところ、そのために一層ごちゃごちゃして、新しい路地と古い路地がほどきがたく絡みあったりしていますが、住民ももう死んでいるはずのおばあちゃんとか、セーラー服を着て胸も豊かに飛び出ているというのに、顔だけ異様に老けた女子高生とかで、要するにちょっとスラム化ないしは魔界化しているところ、そこへ妻がしきりと出入りしています。私はもっとすっきりした場所へ行こうと提案するのですが、妻の足はどうしてもそこへ向いてしまうようです。そこに彼女の一番古い記憶、もっと言ってしまえば出生の秘密が隠されているらしいんですね。
またたとえば、渋谷のホテル街を抜けてなおもずんずん歩いてゆくと、古い石の建物がつづくようになります。変だな、まるでヨーロッパだ。しかし欲望の解消の方が先決なので、そのあたりのことは深くは考えません。つまり私はK子とどこか空き部屋を、どこかとりあえず睦みあえるような場所をさがしているのですが、建物はどれも無人で、窓には窓ガラスがありません。そのため窓がなんとなくしゃれこうべの眼窩のようにみえて、私たちはかえって空き部屋をさがす気力をなくしてしまいます。界隈一帯が再開発地区らしく、まるでビルの墓場を行くようです。あるいはひょっとして、ビルほどにも大きい本物の墓石のあいだを歩いているのだろうか私たち──と思われたその瞬間、ぼろぼろとビルあるいは墓の壁がくずれ、そこから野蛮な蔓性の音楽が立ちのぼってきました。
とまあこんな具合です。ところでこの蔓性の音楽、それを仰ぎ聴きながら、私は一枚の紙を差しのべました。するとそこに不思議な楽譜のようなものが映し出されて、さらにそのいくつかの部分がどうあっても言葉でしかないような形姿をみせるならば、それが詩です。ただ、揮発性のそれをそっくり夢の外まで運び出すのは、もちろんきわめてむずかしい。