夢でもよく私は街をさまよう(1)

2005年に河出書房新社から刊行した私の長篇詩作品『街の衣のいちまい下の虹は蛇だ』は、そのほぼ12年前に思潮社から出した詩集『反復彷徨』以来の大がかりな都市詩篇です。『反復彷徨』は渋谷の谷から丘へ、丘から谷へ、いくつかの未知の痕跡を辿る詩のクエストでしたけど、『街の衣のいちまい下の虹は蛇だ』のほうは、行分け小説つまり叙事詩みたいに流れる部分もあって、そこでは、ひき逃げをしたか、あるいはしたと思い込んで車で街なかを逃亡し始める男の前に、空間的にも時間的にも、街が次第に深まっていって迷宮さながらとなり、巨大な蛇や女や江戸が幻視されるまでになります。冒頭に近い箇所を引用しておきましょう。

どこなのだろうここは、
誰なのだろうきみは、
もうかなり歩いたし、
バスや地下鉄にもしきりと仙骨を揺らしながら、
にぎわいの網の目という網の目を蛇のかたちして抜けてきたというのに、
いま、両側を羊歯ふうの標識類その他で飾られた、
とある坂がちな街の祭礼にまぎれて、
蔓草のようにゆるやかに空へ伸び空へと裁たれた、
きらめくその道のさきでめくるめくと、
思いがけずそこに、杜とか境内とか、
その奥のちゃちな神木の揺れさわぐ葉むらのむこうにも、
とりわけひいらぎ科のダンサーのまぼろしがめざましく、
とうにもうひとりのきみが透けてみえていたりして、
その錯視の延長を、
仮に女αとしよう、

とまあ、こんな感じでつづくのですが、街をさまよって詩のテーマや書き方を見出してゆくのは、詩作にさいしての私の主要な方法のひとつです。そう、街なかをさまよい、探訪するというのは、女の熱い襞をまさぐるのにも似て、あるいはインターネットのサイトをつぎつぎにクリックしつつ奥へ奥へと入り込んでいくのにも似て、いやその何倍も何十倍もめくるめくような体験なんですね。そればかりではありません。夢でもよく私は街をさまよい、探訪します。いうまでもなく夢のなかでの街は現実の街よりもいっそう迷宮的であり、その探訪には終わりがありません。いくつか紹介しましょう。