宇宙と息とマトリックスと──賢治・中也・道造をめぐって(その5)

 そのぶん、私は知らず知らずのうちに、道造のほうに近づいていったのかもしれません。直接その詩を読んだりはしていないのに、いわばその詩の影のようなものはたえず身近に感じていた、みたいに。
 道造の詩というのは、一般的イメージとしては、高原を舞台にした甘美ではかなげな抒情詩という感じでしょうが、よくみるとそれだけではなくて、言葉の運びはきわめて構成的あるいは構築的、そのために主体はいくぶん後景に退いて、そうした言葉の運びを統御している立ち位置にあるようにもみえます。それは道造が若き建築家でもあったことと関係しているのかもしれません。ともあれその結果、表現内容はともかく、表現形式としては自律的な言語空間が立ち上がっている感じで、もしそこに高原の抒情ではなく都市や思想を語る言葉が嵌め込まれていったら、そのまま現代詩になってゆくような、そんな印象さえ与えるんですね。いや表現内容だって、たとえば「のちのおもいに」というソネットでは「夢」がテーマになっていますけど、それは充分に深く思考されていて、ただの情緒的な雰囲気だけを伝えてくるものではありません。

夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を

うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
──そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……

 前半の2連です。読まれるように、まず、詩人の愛する土地が喚起されます。道造の場合それは「山の麓のさびしい村」、つまり軽井沢とか追分とかの高原地帯であるわけですが、東京下町生まれの道造には生まれ故郷でもなんでもないのに、しかしまぎれもなくハイデガー的な意味での詩的故郷、詩的大地といえるでしょう。まるで子供が幼い見聞を母親に報告するように、「見て来たもの」を心おきなく語ることができる場所、そしてそこへは詩人のもっとも固有の本質であるはずの「夢」でさえもが帰ってゆく場所。ふつうならそれだけで過不足のない抒情の条件であり、詩はそこでみずからを歌いきるでしょう。
 だが道造のこの「のちのおもひに」の場合、二段構えといいましょうか、詩はむしろそこから深まるのです。