宇宙と息とマトリックスと──賢治・中也・道造をめぐって(その3)

 もちろん賢治はランボーなんて全然読まなかったでしょうし、仮に読んだとしても、詩人としての目標や社会との関わり方がかなりちがっていましたからね、あまり共感はもたなかったかもしれません。でも、なんといったらいいのか、ポエジーというもののあらわれにおいて、あるいは主体が取り結ぶ作品との本質的関係において、ふたりは思いのほか近いところに位置している、そんなふうに思えてならないんです。たとえば「客観的ポエジー」をランボーは提唱しましたが、賢治も詩とは心象を「スケッチ」することだと言ってはばかりませんでした。また、ランボーのあの名高い「私とは一個の他者です」という断言は、どこかしら『春と修羅』冒頭の、これもやはりよく知られたつぎの数行に重なってこないでしょうか。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)

 話を戻して、卒論を書こうとしていた頃の私にとって、こういう賢治の世界より、中也の人間臭い世界のほうがなんとなく扱いやすいような気がしていた、それはたしかです。たかが卒論ですからね、さっさと書いてしまわなければなりません。ちなみに、道造は残念ながらあまり視野に入ってきませんでした。若い頃はどうしても過激なもの、反抗的なもの、既存の価値や言語を破壊する傾向のものを詩に求めますよね、そういうときに、高原の可憐な草花などに言寄せて言葉の繊細な音楽を奏でていた詩人は、どうしても関心の埒外に置かれていました。
 既存の価値や言語の破壊といえば、そう、たとえばダダです。ヨーロッパのダダとは比べるべくもありませんけど、それでも「ダダイスト中也」がいました。例の「トタンがセンベイ食べて」云々がすぐさま思い浮かびますが、つぎのような態度表明もなかなかに爽快です。

頭をボーズにしてやらう
囚人刈りにしてやらう

(中略)

Anywhere out of the world
池の中に跳び込んでやらう