谷川さん、宇宙から詩が届きました

3月30日午後11時50分、東京駅八重洲南口。私はミッドナイトつくば号という深夜バスの乗り場にいました。なんでそんなところに? そう、これからつくば宇宙センターというところに赴き、宇宙ステーションにいる若田光一さんと交信するのです。昨年9月からネット上でつづけている宇宙連詩、その第25詩が若田さんの担当であり、さばき手の私は、彼から詩を受信して、アンカーの谷川俊太郎さんに渡さなければならないのです。NHKのディレクター湯田美代子さんが取材で同行しています。
日付が変わって31日午前1時。深夜バスを降りると、JAXAの山中さんが出迎えてくれ、宇宙センターに案内されました。筆記用具以外は持ち込まないこと、ここで得た情報は第三者に口外しないことなどを記した誓約書にサインさせられ、オペレーションエリアに入りましたが、なんだか自分たちはとんでもない場所に拉致されたような気分にもなりました。エリアのなかはたくさんのモニターがありPCがあって、NASAの管制室を想像していただければと思います。
午前3時過ぎ。常時宇宙船内を映し出しているメインモニターの画面に、若田さんが紙片を持って泳ぐようにあらわれ、それを壁におしつけるようにしてなにやら書き始めました。無重力空間のなかでの作業なので、ボールペンをにぎるのもちょっと大変そうです。息を呑んでみつめる私たち。やがて書き終えた彼は、紙片をカメラに向かってかかげました。人類がはじめて宇宙空間で書いた詩が、いましも開陳されるのです。ところが、えっ? と私たち。解像度が悪く、ほとんど解読できません。もっと字が大きければ読めるのになあ。しかし、限られたミッションの時間のなかでは、書き直すことも不能。第一、実は別室の専門家以外は若田さんと直接交信することができないシステムなので、こちらからはなにひとつ注文できないのです。
さいわい、若田さんは書いた詩を読み上げてくれました。それもミッションのなかに入っていたのです。何回も朗読の音声を再生しながら、私たちはなんとか完全な解読に成功しました。
ほっと一安心。私たちは握手しあって、この「歴史的瞬間」に立ち会えた喜びを分かち合いました。と同時に、まさに宇宙から送られてきた詩だ、と私は笑いをかみ殺しながら思いました。そうやすやすと解読されてはたまらない、そういう無言の叫びをそれは上げていて、それで私たちにちょっとした試練を課したのだ、と。
いや、詩自体が、やすやすと伝達されるものではないのでしょう。パウル・ツェランの投壜通信のたとえなども思い起こされるなかで、私は若田さんの詩を便箋に清書し、杉並の「宇宙人」谷川俊太郎さんにファックスしました。「谷川さん、宇宙から詩が届きました。最終の第26詩をお願いします。」