詩脳ライブをやりました(その2)

詩脳ライブはまず、3人の詩人──岩切正一郎、川口晴美城戸朱理──の朗読から始まりました。
つぎに、私が聞き役になって、「藤井貞和に聞く〜詩はいつから脳に入り込んだか」。「いつから」というのは発生あるいは起源を問う問い方で、少々無理があります。古代なら古代を起源として設定してしまうと、「民族の記憶」みたいに幻想をでっちあげてしまうことにもなりかねない。そこをすかさず突いた藤井氏は、不思議な図形を取り出しました。なんでも日本語の助動詞、「けり」とか「らむ」とかの関係を示す図形だそうで、藤井氏によると、そのいわばマトリックスみたいなものがわれわれの脳のなかでぐるぐるまわりながら発話を紡ぎ出しているらしい。そうして古代というのは、われわれの日々の発話行為のなかで「差異と反復」を繰り返しているというんですね。そうか、それが藤井氏にとっての詩作でもあるんだな。
そしてコラボレーション。まず私とコンパニア・バレエ・フラメンコ・エルスールとで、詩とダンスのコラボレーションです。私の詩「スペクタクルあるいは波」に、野村真里子振付の「「オロブロイ」が絡みました。
二番目のコラボレーションは、本日のメーンイベントともいうべきヤン・ローレンスと田中庸介の登場。ふたりはともに詩人兼脳科学者というマルチな人間ですが、今回はあの名高い「ネイチャー」誌に載った田中氏の論文、それはなんでも神経細胞におけるタンパク質の働きを調べるみたいな、そういう内容らしいのですが、それをもとに、そこに出てくる言葉のいくつかを、ローレンス氏がそれこそさきほどのマトリックスのように脳内でころがして、詩を紡ぎ出していきます。そのとき彼の脳内では、言葉の意味というより音韻やリズムの訪れがまずあって、それがポエジーへと向かう初期微動であると。なるほど、いわれてみれば私もほぼそのように詩作するので、詩に国境はないんだなあと、認識をあらたにしました。最後に、ローレンス氏が、なんと日本語で書いた摩訶不思議な詩「あたまがないへび」を披露して、これが大受け。
イベントの締めくくりは、城戸朱理(司会)、ヤン・ローレンス、岩切正一郎、川口晴美によるシンポジウム「詩的脳あるいは脳的詩の可能性」でした。ひとくちに脳といっても膨大な問題がある、ローレンス氏は視覚性と脳との関係という研究テーマでやってこられたので、今日は見ることと詩作の関係に話題をしぼりたい。そういう城戸氏からの方向づけがあり、各自、体験談をまじえて討議をすすめていきました。結論なんてもちろん出ませんでしたけど、見るとは瞬時に視点をぴっぴっと選択し結びつけてゆく眼の旅であるとすると、詩はむしろそのあいだの弛緩から生まれるのではないか、だから詩人はぼんやりしていていいんだ、あるいはぼんやりしているからこそ詩人なんだ、だいたいそういう大団円だったようです(敬称略)。