国語学原論(その2)

この現象にくらべれば、若者言葉のたぐいは語彙論的レベルの混乱にとどまり、私から言わせればむしろほほえましいくらいなんですね。最近も年少の詩友のひとりから、『あふれる新語』(大修館書店)という本をすすめられ、ぱらぱらとめくってみました。まあいってみれば中高生の隠語集と言った趣で、しかしなかには、おっ、これ、詩に使えるじゃん、というのもあって、結構面白いんですね。考えてみれば私自身、詩作において、どちらかといえば造語新語の類はよく創作するほうだと思います。たとえば私の第一詩集のタイトルからして、「川萎え」というのは一種の造語ですし、今秋刊行予定の新詩集のタイトル「Zolo」も、辞書には載っていないなにやら怪しい綴りの単語です。
さて、いまどきの若者たち(中高生)はどうか。「第一章 恋の新語」。ここに「指恋」というのが出ていて、あ、いいな、と思いました。いわゆる本番以前の、ただ指でいじり合うだけの恋人同士の、もどかしい痴態が妄想されて。でも、はやとちりでした。じっさいは、「携帯メールのやりとりを重ねるうちに恋愛関係に発展すること」だそうです。中高生たちって、意外にまじめなんですね。「あわびる」、うん、これもいいなあ、貝だからね、今度こそ、女性器をいじることでしょう。ところが、これも私のはやとちりで、じっさいの意味は「片思いをすること」だそうです。万葉集にもとづく成句「磯の鮑の片思い」から来ているというから、なかなかに趣が深い。
さてそこで気づいたのですが、この隠語集に収められた単語に、エロい意味はほとんどないんですね。たとえば「ささるぅ」は「恋に落ちる」であって、決して好きな男子の男根に突き刺されることではないのです。
第二章は動詞や形容詞の新語。さっきの「あわびる」も分類すればここに入るわけですね。むっときたのは「きわい」。私の名前「喜和夫」を形容詞化したみたですが、意味はなんと「気持ちが悪く、卑猥なさま」。言われたときのダメージは、「うざい」「きもい」「きわい」の順に大きいというから、当方おだやかではありません。
機嫌を直して、いちばん面白かったのは、第三章「叫びの新語・オノマトペの新語」でしょうか。オノマトペを得意とする日本語の特性は、こんなところにも出ているんですね。説明は省略して列挙してみます。「あばばばば」「きそきそ」「こふこふ」「つやぷる」「にょふっ」「ぬーん」「びさびさ」「もふもふ」「わたわた」。ね、すてきでしょ。
第六章の「なぞらえた新語」というのは、要するに隠喩ですね。「業務用」は、常識外れに大きいこと。排便は「出産」というらしい。伊藤比呂美の「霙がやんでも」に出てくる「大便みたいに産もう」という詩句を思い出しました。
最後に、最終章「広がる新語」から。「たひる」は、漢字の「死」を分解して、カタカナのタとヒに見立てた。意味は「(死ぬほど)絶望的な状況に追い込まれる」、だそうです。新鋭詩人最果タヒさんの名前の由来も、われ発見せり。