歴程・夏の詩のセミナーを終えて

「歴程・夏の詩のセミナー」を終えて戻ってきたところです。ここ数年、セミナーは福島県いわき市草野心平記念文学館を主会場にして行われていましたが、今年は藤村記念文学館のある木曽馬籠に移動して、その「馬籠ふるさと学校」(古い小学校校舎を改築したもの)が会場となりました。校長長谷川龍生、副校長野村喜和夫
さて、今年のテーマは、「ふるさと学校」ならぬ「詩のふるさと」でした。なんだか安易そうなテーマですけど、近代詩のふるさとが、まあいってみれば『若菜集』の藤村なわけで、それにかこつけて、詩を発生させる根源的トポスをさぐろうというのであれば、思いのほか問題圏は深く広いということになります。たとえばハイデガー的な詩的大地論から、その対蹠点にあるユダヤ的な移動の詩学まで、それはカバーするでしょうから。
ちなみに、近く思潮社から刊行予定の私の詩論集『詩のガイアをもとめて』もそうした問題圏を扱っています。「詩のガイア(詩的ガイネーシス)」とは、大地神ガイアにちなんだ詩を産み出す母胎ですけど、より言語論的には、蜘蛛の巣をつむぐ蜘蛛にも似た意味生成の核であり、またより主題論的には、老子のあの「玄牝」にも通じる大地的女性性であるからです。
セミナーに戻って、歴程同人たちの講演を聞いていると、「詩のふるさと」といっても、その内実はじつに多様なんですね。なかでも粟津則雄さんは、場所ではなくむしろ時間の奥処にひそむ特異な出来事(新約に語られる聖ペテロの否認)を呼び出し、それとのこころの共振を語って、さすがと思わせました。
私ですか? 私は鈴村和成さんとの対談を行い、ここ数年鈴村さんと続けている「光晴デュオの旅」あるいは「ランボー光晴デュオの旅」という共同の仕事(「すばる」に不定期連載中)の話をしました。
なぜ金子光晴なのか、ランボーなのか。ひとつには、いずれの詩人の生においても放浪が特徴的ですが、それを通して「詩のふるさと」がひとつに固定せず、「飛び地」(鈴村さんの言葉です)のようにあるいはアトピーのように複数に存在するようになったこと、その魅力ですね。光晴はマレーシアのバトパハというところを繰り返し訪れてそこを彼の詩的エクリチュールの真の開始の場所にしましたし、ランボーは、詩人をやめたその後半生を、生地シャルルヴィルの「マザーの穴」とはおよそ対照的な乾燥したアフリカの土地を歩き回ることに費やしたわけですが、その不毛の場所からこそ、あたかも逆説的あるいは事後的に、ランボーの詩の行為の恐るべき全体が浮かび上がってくるかのごとくなのです。
読者諸兄も、もし詩を書かれる人なら、ご自分の「詩のふるさと」を探してみてはどうでしょう。湿った「マザーの穴」が香りだすか、乾燥した沈黙の土地がみえてくるか。