もしも私から母語が奪われたとしたら

今回は仮定法からいきましょう。もしも私から母語が奪われたとしたら、どうだろうか、と。母語は詩人のほとんど血液ですからね、それなしには一日たりとも生きてはいけません。たぶん私は狂い死にしてしまうか、命を賭して母語を取り戻そうとするでしょうね。
さてそこで、話は朝鮮の一詩人のことに飛びます。かつて、尹東柱(ヨンドンジュ)という詩人がいました。1917年に、朝鮮半島の北辺の、いまは中国領でしょうか、戦前は日本軍が支配していたところで生まれました。敬虔なクリスチャンとして育てられたそうです。母語はもちろん朝鮮語です。
天性の資質に恵まれた彼は、まもなく詩にめざめ、清新でシンプルな抒情詩を書き始めます。ところが同時に、なんといっても当時は日本の植民地支配のもとにあったわけですから、言語の強制をはじめとする民族の苦難に直面し、抵抗の精神にもめざめたようなんですね。まあ当然といえば当然ですけど、彼の生涯にわたる不幸の始まりでもありました。やがて日本に留学、創氏改名(むりやり日本人的な名前にされてしまうこと)の屈辱にも耐えながら、つぎのような、抵抗と抒情が溶け合ったようなすばらしい詩を書くにいたります。

人生は生きがたいというのに
詩がこうもたやすく書けるのは
恥ずかしいことだ
六畳部屋は他人の国
窓の外に夜の雨がささやいているが、
灯火をともして暗がりを少し追いやり、
時代のようにやってくる朝を待つ 最後のわたし、
わたしはわたしに小さな手をさしのべ
涙と慰めでにぎる 最初の握手。

しかるに、詩人は「思想犯」の嫌疑をかけられて、友人と一緒に逮捕されてしまいます。そして裁判で実刑を言い渡され、服役中の1945年2月、まだ27歳の若さで非業の死をとげるにいたるのです。
最近刊行された宋友恵著『尹東柱評伝』(藤原書店)は、そうした殉教の詩人尹東柱の生涯を、作家でもある著者が、膨大な資料や証言にもとづきつつ克明に跡づけようとした労作です。本書によれば、詩人の獄死には重大な疑惑があり、人体実験の対象にされたかもしれないとのこと。ひどいですね。ひとりの詩人を殺すということ、それは詩人が母なるものとした言語と大地をも踏みにじることであり、その代価ははかりしれません。その意味で本書は、朝鮮の詩人の評伝ではありますけど、誰よりもわれわれ日本人がまず読むべき書物として差し出されているような気がします。大部な本ですが、よろしかったらご一読を。