暴動ノススメ

 メキシコに行ってきました。メキシコ自治大学主催のPOESIA EN VOS ALTAという詩祭に招かれての、たった五日間の慌ただしい旅でしたけど。
 詩祭の名称を直訳すると「声に出す詩」、まさに詩を書物空間から解き放とうという趣旨らしく、さまざまな詩人や音楽家が朗読パフォーマンスを繰り広げます。私もコントラバス奏者の斎藤徹さんとともに登場し、「デジャヴュ街道」ほかを朗読しました。もちろん日本語で。でも、言葉の意味なんかわからなくても、音としてのエキゾチックな日本語に聴衆は満足気味でした。メディアのインタヴューも受け、外国の詩祭に行くとたいていそうですが、なんだか少し詩人として敬意を払われているような、いい気分を味わいました。逆に言うと、日本では詩人であることがいかにみじめであり屈辱的であるか──。
 いや、愚痴はもうやめましょうね。
 出番の翌日、現地の日本人留学生(これがまた親切な人たちでした)の案内で、一日だけメキシコシティを観光しました。ところが、ちょうど大規模なデモが行われていて、なんだあれは、と自然にそっちのほうに身体は向き、そう、身体は正直ですから、そしてその結果、観光以上の興奮がもたらされたのでした。聞けば石油公社の民営化に反対するデモとかで、おりしも表面化したアメリカ発の金融不安を考え合わせれば、いわゆる新自由主義の破綻をここにも見る思いでしたが、それはまあともかく、民衆が形成する政治のダイナミズムは、私にとっては久しく手にすることのなかった麻薬みたいな効果があり、目抜き通りを埋め尽くしたデモの群衆とともに陶然と移動していたら、いつのまにか、観光の目玉のひとつ、ソカロ広場に辿り着いていて、しかしそこも群衆でいっぱいでした。
 広場の一角には、スペイン統治時代に作られた見事なカテドラルがあり、中はどうなっているのだろうと、ふっと入ってみると、日曜なのでミサが行われていて、あたりまえといえばあたりまえですけど、跪いて祈りを捧げている人もいます。外の喧噪との、なんというコントラスト。というか、祈りと抗議とが、つぶやきと叫びとが、同じ場所同じ時間に生起していることの、なんという対立矛盾アンビヴァレンツ。これぞポエジーではないか。あるいは、あのガルシア・マルケス以来(メキシコシティ在住です)の、ラテンアメリカ文学に特有のいわゆる魔術的リアリズムそのものではないか。
 というわけで、興奮のうちにメキシコを去り、この静かな日本、喧噪といえばゲームセンターとパチンコ店とテレビ番組ぐらいなこの日本に戻ってきました。デモとはいいません、よしんば暴動であっても、みなさん、なにか精神の興奮に資するようなことをしでかしたいとは思いませんか。帰国直後に知った個室ビデオ店放火事件も、その犠牲者のほとんどがワーキングプアの人たちというではありませんか。暴動ノススメ、暴動ノススメ。呪文のように祈りのようにこの言葉をつぶやく、そんな今日この頃です。