ダンスダンスダンス

 かねがね、詩は言葉のダンスであり、ダンスは身体の詩であると思ってきました。なので、ダンス公演(おもにコンテンポラリー・ダンスと呼ばれるジャンルで、さすがにクラシックバレエはあまり観ません)には足繁く通い、そのいくつかにインスパイアされて詩を書き、あるいはそのいくつかについて批評家めいたエッセイまで書き、あまつさえ、詩とダンスとがじっさいに舞台その他で出会ってしまっても不思議はないと思ってきましたので、たとえば山田せつ子と共演したり、谷川俊太郎の詩とフランスの舞踊家ジーヌ・ショピノとのコラボレーションを企画したり、アメリカの詩人マイケル・パーマーを、彼が長年テクストを提供してきたマーガレット・ジェンキンス・ダンスカンパニーごと招聘したりもしました。そして今度また、ささやかながらダンスとのコラボレーションをすることになりました。
 ほかでもありません、私の妻でもある野村真里子のフラメンコ・リサイタル「UTUTU2008」が、10月24日と25日、東京赤坂の草月ホールで行われますが、私も詩のテクストを提供し、またその朗読者として出演するというわけです。
 この公演の目玉は、まずなんといっても、日本のコンテンポラリー・ダンスを代表するひとり、伊藤キムがゲスト出演するということです。でもいったいフラメンコとコンテンポラリーとの、どのような共作が可能なのか。それは見てのお楽しみですけど、振付はほぼ全部野村真里子が担当するので、基本的には伊藤氏にフラメンコの方へ越境してもらうかたちになるでしょう。つまり伊藤氏が、フラメンコという熱い雰囲気のなかへ、あの独特のクールでしなやかな身体言語を解き放つのでしょうね。
 越境の理由はコンテンポラリー・ダンスの側にもあり、近年、このジャンルはある種の臨界に達して、その一部はエンターテイメント化の方向へ流れていますが、もう一度原点に戻ってダンスを見つめ直すというのもありでしょう。その場合、フラメンコのような民族舞踊的要素の濃いジャンルが大きな栄養源となりうるのではないでしょうか。なぜなら、あらゆるダンスの根源は、多様な大地に生きる多様な人間の身体的躍動そのものなわけですから。
 さて私ですけど、私は、眠れない女たちをうたった「スペクタクルあるいは波」という詩を、野村真里子振付による「オロブロイ」という群舞作品が展開するなかで朗読します。その途中から伊藤氏が登場し、私が二番目に朗読する詩「眼底ロード」に絡んできます……
 異質なもの同士の出会いは、しばしば思いもよらないような美をもたらします。われわれのコラボレーションからも不思議な詩情やユーモアが現出しないともかぎらず、それをめざしてがんばりますので、もしよろしかったら観に来てください。公演の詳しい情報は、http://www.elsur.co.jp でどうぞ。