ベチャ漕ぎになる夢

 いつだったか朝のゴミ出しの作業をわざとマスコミに撮らせたキツネ目の厚労相がいましたが、まあそれはご愛嬌としても、昨今エコを売り物にする芸能人が少なくなく、うんざりですね。
 もちろん私だって環境問題には敏感です。とりわけ地球温暖化については、随筆などでもときどきふれることがあります。というのも、それはいわば本能的な反応なんですね。仮に問題になっているのが地球寒冷化だとしたら、こんなに憂うかどうか。というのも、もともと私は寒い季節が好きで、吐く息が白くなると何かしら芯から精神が鍛えられ、そこに意味深い言葉や思想がおのずから結晶しそうな気がするのです。反対に暑いのは苦手で、せっかく芽生えた詩的な想念もアイスクリームか何かのようにだらっと溶け出してしまうのではないかと恐れたりする。
 ところが、このところ熱帯アジアに行く機会がふえて、暑熱の魅力というのも知ってしまいました。熱帯地方の自然な暑さは、たとえば近年の日本の猛暑とは似て非なるものであって、もっと柔らかく、心身に優しい。そうして、暑くけだるい空気に身も心もとろけてゆくような感覚も、それはそれですぐれて詩的なのであって、なぜなら、私ごときの個我の囲いなど、世界との融即一体に比べればものの数ではないからです。私はかつてフランスの詩人アルチュール・ランボーを研究していましたが、アフリカまで行ってしまった彼の南方憧憬が、いまにして分かるような気がします。
 そうしたなかで、いま私が育んでいるのは、ベチャ漕ぎになる夢です。えっ、ベチャ? そうです、ベチャ、べちゃくちゃしゃべるな、のベチャ。冗談はさておき、ベチャとは、インドネシア語自転車タクシーのこと。前輪を二輪にして座席と幌を取り付け、後ろから漕いでいきます。ジャカルタのような大都市ではさすがに消えつつありますが、ジョグジャカルタのような観光地ではまだまだ健在で、ちょっとした距離を移動する恰好の手段となっています。それを眺めたり利用したりしているうちに、私も移住してその漕ぎ手になりたくなった、とまあそういうわけなのです。
 日本ではあまりいいこともなかったし、未練はありません。インドネシアに渡って晴れてベチャを一台手に入れたら、私はまずホテルのまえで客を待つことになるでしょう。値段の交渉は、it’s up to youといえばよい。客を座席に乗せ、さあ、ゆるゆると熱帯の街を出発です。自転車を漕ぐのだから、当然健康にいいし、環境にもやさしい。なにより、サドルをとんでもなく高い位置に調整してあるので、人よりも一段高いところから街を見下ろしているような、いうなれば高貴な気分になれるのがたまりません。疲れたら、合歓の木の下で、みずから座席に横になって昼寝をする。そうして、この身が時間もろともけだるい暑さのなかに溶けてゆく感覚、それを心ゆくまで味わうのです。