不況には強い私です

百年に一度の経済危機とか。でも、それって資本主義の宿命でしょう、たかが。お金を失いたくないといういわれのない恐怖と、欲望は無限に行使できるというめちゃくちゃな前提が資本主義を成り立たせているわけで、つまりそんな恐怖や前提は、宇宙論にたとえれば宇宙定数みたいなもので、たとえば美しき定常宇宙を夢見るがゆえにアインシュタインは宇宙定数を導入してしまったわけですが、じっさいはそんなものどこにも存在せず、宇宙は膨張するか縮小するかに決まっている。
とまあそんなわけで、高をくくりましょう。お金なんかなくてもいい。欲望なんか犬に喰われろ。飢え死にしない程度にがんばって、あるいは暴動を起こせるぐらいに体力を温存して、ひとはパンのみにて生きるにあらず、といきたいですね。
じっさい、はっきりいって、不況には強い私です。なにしろ、詩を書くようになってこのかた、懐がうるおったためしないですから。もともと買い物恐怖症なうえに、寒い懐ではさらに一段と消費は控えるようになるし、ほんのすこしのお酒と女の匂いがあれば、どんな不況だってしのげるような気がします。農民の家系なので、いざとなれば帰農すればいいし、あ、でも、もう土地ないかもしれません。
しかし国家的規模でいうなら、この帰農、冗談以上の意味があるような気がしてなりません。雇用創出のひとつとして、クビを切られたひと、仕事にあぶれたひとはふるさとに帰って土を耕すことができるようにする。そうすれば問題視されている食糧自給率も少しは高くなるだろうし、環境にもやさしい。
おいおい、いつから政治を語るようになったんだよ。そうでした、私は詩人です、不況に強い。あるいは、詩そのものが不況に強いのかもしれませんね。風が吹くと桶屋がもうかる式に、不況になると詩が盛んになる。以下にその筋道を示します。
まず、不景気で仕事が減る。あるいはリストラされる。いきおい、家にこもる。あるいはネットカフェに。家には紙とエンピツぐらいしかない。ネットカフェにはPCぐらいしか。そこで紙やPC画面になにか書く。しかし腹が減っているのでそんなに長大なものは書けない。詩だ、詩がいい。「にんげんだもの」。それに詩ならストレートに怒りが表出できる。こうして、詩を書く者が増える。失業者のようにちまたにあふれる。そのうちの何人かは、もっといい詩を書きたいと思うようになる。「にんげんだもの」。そうして、勉強のためプロが書いた詩を読んでみたいと思うようになり、図書館や書店やアマゾンに駆け込む。詩集が売れるようになる。詩人がうるおうようになる。ありがたいことです。
待てしかし。いつだったかも似たような夢想しなかったか。ポエジー夜話<5>「なんでもポエジー」を参照だ。ああ、いつまでもいつまでもこんな埒もない夢想をするなんて、われながら懐ばかりでなく想像力も貧しいと言わざるをえません。