私はいまや複数の詩人主体に分裂して?

詩集『Zolo』を刊行しました。詩論集『詩のガイアをもとめて』との同時刊行で、いずれも思潮社からです。
タイトルは、ぞろぞろの「ぞろ」、soloの誤記もしくは変化、zoologyのもじりなどが複合しています。形式的には、普通の散文にかぎりなく近い文章で書かれた散文詩部分と、その反歌としての、2行一連の行分け詩部分、さらにはそのふたつの前後を挟む下揃えの短い詩行部分とでワンセット、それが12ピース並びます。「1ダースの〈歌物語〉」と銘打ったゆえんです。
内容的には、他者がテーマになっています。ただし、おもに夢で出会った他者たちですね。彼らは、現実の他者とちがって、しばしば複合したかたちであらわれるようです。まあ夢は欲望のプールですから、エロス的他者が多いのはいうまでもありませんが、それが私の鏡像と重なって分身的他者になったり、虫に変身して動物的他者になったり、さらには死者とさえ重なり合ったり──。エロスとタナトスですね。そういう多様で惑乱的な他者との出会いをなんとかポエジーにしようと試みたわけです。お読みいただければ幸いです。
なお、最近の私の詩の量産ぶりが指摘されているようですが、本詩集は「hotel第2章」という同人誌に2003年からほぼ6年間にわたって連載されたテクストを再構成したもので、けっして短期間で書きなぐったというような作品ではありません。毎年のように詩集を出していることはたしかですが、それはある時期から私が、複数の書き方・テーマを設定して書き分けるという方針をとっているからではないでしょうか。それらが順次、詩集としてかたちをえているにすぎません。おおげさにいえば、私はいまや複数の詩人主体に分裂して、それぞれが勝手に書いているにすぎないかのごとくなんですね。他者は、たんに詩のテーマであることを越えて、私の詩作そのものの様態となってしまった、みたいな。そんなペソアみたいなこと言ってカッコつけたって、所詮はぜんぶおまえ印だよ、と言われればそれまでですけど。
ともあれ、現在進行中の「複数の詩人主体」の仕事を紹介しておきましょう。ひとりは「街道」シリーズを書いています。以前「デジャヴュ街道」という詩を書いたことがあるんですが、近年、そこからリンクが張られるようにして、さまざまな街道が生まれつつあるんですね。私のライフワーク、あるいは総合的詩作といっていいかもしれません。べつのひとりは「よろこべ午後も脳だ/語ろう午前の巌」シリーズを書いていますが、彼は疑似小説のエクリチュールから言葉の視覚的な空間配分にいたるまで、さまざまなことを試みようとしています。まあ、実験的な詩作ですね。またべつのひとりは「絵本『眩暈』のために」シリーズを書いています。これはテーマ的な詩作でしょうか。さらにもうひとりは、「LAST DATE付近」シリーズを書いています。そろそろ死という光が迫ってきているので、その光を微分しなければならないんですね。抒情的詩作といえるかもしれません。