エロスの詩のアンソロジーを夢見て(その1)

詩であれ散文であれ、書いた原稿はなるべく書籍化するのがのぞましい。でも、なかなかそうもいかないのが売れない詩人のつらいところで、いくつかお蔵になりそうな原稿もあります。
たとえば十年ぐらい前に、「俳句界」という雑誌に一年間にわたって連載した「愛の詩の12ヶ月」。毎月、古今東西の詩から、愛をテーマにした、しかも季節感のあるものを選んで、それに解説文を添えるという仕事でした。たとえば4月は北島の「きみが言う」、8月は岡田隆彦の「夏を はかる唇」、というように。いつか新書にでもしようと考えているうちに、あっという間に時は流れて、しかしまだあきらめてはいません。どこか出してくれるところはないかなあ。
それを待つあいだ、日本近現代詩から、「愛の詩」をさらに特化させた「エロスの詩のアンソロジー」でも夢見て遊んでみましょうか。以下がその暫定的なラインアップです。コメント付き。
(近代詩篇
島崎藤村「初恋」
ご存じ近代恋愛詩のあけぼの。少女が差し出す林檎が意味深です。
高村光太郎「愛の嘆美」
性交を光太郎らしく「崇高」化した一篇。意外に過激ですよ。
北原白秋「石竹の思ひ出」
白秋といえば「姦通」ですが、それは短歌で扱い、自由詩では幼年の性をわがものとしました。恐るべし。
萩原朔太郎「愛隣」
ご存じ準発禁処分詩篇。エロスの詩の最高峰と私はとらえます。最後の「草の葉の汁」は、いうまでもなく精液の婉曲表現。
室生犀星「唾」
性に目覚める頃」の作者なら、と思って探したのですが、案外おとなしい。
大手拓次「鏡にうつる裸体」
変態拓次さんも案外おとなしい。
佐藤惣之助「大きい田舎の女を」
おおらかな地母讃歌。
金子光晴「洗面器」「愛情55」
私見によれば、単純に「抵抗とエロスの詩人光晴」と言ってしまうのはまちがいですが。
9森三千代「出発」
光晴より官能的です。三千代は恋多き女で、光晴と結婚する前は吉田一穂の、結婚してからも土方定一や武田燐太郎などの恋人でした。