イスラエルの国際詩祭に行ってきました(その1)

イスラエルに行ってきました。ニサン国際詩祭イン・マグハルというのに招かれて。なかなか有意義で楽しかったです。で、以下にその報告を。
成田を飛び立っておよそ24時間ののち(パリ経由)、現地時間の4月3日午後4時すぎ、テルアビブ近郊のペングリオン国際空港に降り立つと、「フェスティバル」というカードを掲げたひげもじゃの運転手に迎えられました。「フェスティバル」だけで大丈夫か、イスラエルはダンスも盛んだ、もしかしてダンスのフェスティバルの関係者だったりして…… しかしまあなんとなく了解し合って、タクシーに乗り込みました。
すぐに、野の果てに高層ビルの林立がみえてきました。テルアビブ市内なのでしょうね。そこをかすめて、タクシーは海岸沿いを北へとひた走ります。意外に緑豊か。しかしこれは、帰国の日の日本大使との会食で、灌漑によるものだと判明。そのため水争いが大問題になっているとのことです。
イスラエル第三の都市ハイファの手前で、道は内陸部へ。すでに2時間近くドライブし、日没がせまってきています。間に合うだろうかという不安が頭をかすめました。なにしろ、この日の夜のポエトリー・リーディングに私の出番が組まれていたのですから。これまで、いくつかの国際詩祭に出かけましたけど、到着当日に朗読をするなんてはじめてです。
やがて、半砂漠の岩山の中腹に、かなり大きな集落が見えてきたと思ったら、そこがマグハル村でした。事前の調べによれば、あのイエス・キリストがかずかずの奇跡を起こしたことで名高いガリラヤ湖の近くです。
やっと着いたか。ちょうど詩祭のオープニングセレモニーが始まるらしく、会場とおぼしき建物に人々が集まってきていました。促されて合流。ぎりぎり間に合ったようです。
建物内の劇場に入って席に着くと、詩祭のディレクター、ナイム・アライデ氏に挨拶され、流暢な英語で、開会式のあとすぐに「デジャヴュ街道」を朗読してくれ、と言われました。もとより了解ですが、彼が拙詩のタイトルを覚えてくれていたのには感激しました。単純なんですね、私という個体は。壇上に立って「デジャヴュ街道」を朗読。背後のスクリーンには、ヘブライ語訳とアラビア語訳が同時に映し出されます。そう、イスラエルには公用語がふたつあるんです。
私を含めた7、8名の招待詩人たちの朗読が終わると、会場を近くのレストランに移して、ディナー。たまたま円卓をともにしたのは、テルアビブから来たというユダヤ系の詩人たちでした。言い遅れましたが、この詩祭はアライデ氏らアラブ系の詩人たちが主催しており、ユダヤ系は、いわばそこに招かれた客分なんですね。周知のようにイスラム社会ではおもてだってお酒を飲めませんが、この夜ばかりはユダヤ人たちもそのしきたりに従っていました。料理は野菜中心のたくさんの前菜の皿にケバブやシャシリックが供されるという中東スタイル。おいしかったです。