イスラエルの国際詩祭に行ってきました(その2)

二日目はツアー。主催者側がチャーターしたバスで、まずナザレを訪れました。聖母マリア受胎告知教会。ちょうどイースターのミサが行われていました。つぎに訪れたのは、地中海沿いの美しい町ハイファ。丘からの眺めがまるでサンフランシスコです。初日に知り合ったポーランドユダヤ人詩人が住んでいて、日本美術館もあるから行ってみろとしきりにすすめられましたが、時間的余裕がなく断念。最後に向かったのが、アラブ人が多く住むアッコという町。そのスークの一角にあるレストランで遅い昼食となりました。
三日目。まず午前中に村長さんとのミーティングがありました。文学の話ができるなかなかインテリの村長さんで、私たち参加詩人全員に記念品を手渡すセレモニーも組まれていました。
午後はシンポジウム「多文化状況における詩の役割」。私たち外国詩人も参加しましたが、地元イスラエルの現実を反映して、詩と政治の関係をめぐるかなり激しいポレミックとなりました。アラブ系詩人たちのあいだには詩にも政治的なメッセージを込めるべきだとする意見が多かったのに対して、ユダヤ系詩人たちからは、詩の自律性こそ肝要で、詩と政治とは別物だという主張が伺えました。建国の事情に由来するうしろめたさがあるのかもしれませんね。いずれにしても、それぞれの立ち位置によって政治との距離が測れるわけで、つまり政治的メッセージのあるなしにかかわらず、詩とは言語の政治そのものなのだということが、はからずもあきらかにされていました。
しかし印象的だったのは、それまでかなり過激にパレスチナ人の立場を主張していた長老格の詩人が、最後には旧約のアブラハムの物語を引き合いに出して、アラブ人もユダヤ人もアブラハムを祖とする兄弟なのだから仲良くしよう、と締めくくったことでしょうか。私はふと、最近バレンボイム指揮によるアラブ人とユダヤ人の混成オーケストラが成功を収めたという話を思い出しました。
夕方からはポエトリー・リーディングがあり、また指名されたので、今度は「街の衣のいちまい下の虹は蛇だ」を朗読しました。翻訳がなかったのに結構受けたのは、この詩のリズムが独特のものだったからでしょう。
朗読のあとは、閉会のセレモニー。もの悲しげに聞こえる弦の音をBGMに、詩祭のスナップショットがスライドショーで流れます。私が映っているのもありました。それから、オリーブ畑のど真ん中の、テントを張ったようなスポーツカフェに場所を移して、お別れパーティー。外国から参加した詩人がひとりひとり詩祭の感想をきかれたりして、私は、ろくに英語ができないこともあって、まああたりさわりのないことを述べましたけど、東欧やロシアからきた詩人たちなどは、遠慮なく運営面の批判などをしていました。しかしまあ、名残惜しいひとときではあって、最後にはみんな、ちょっぴり感傷的になったのはいうまでもありません。