荒川ランボー交響(その1)

先日、ニューヨークで荒川修作さんが亡くなりました。あるいは、その生物学的生存を終えました。とてもショックです、残念です。荒川さんとは生前、ほんの少しですが、交流がありました。あれは1993年頃でしたか、詩人仲間数人と誘い合って、おそるおそる、東京のホテルに荒川さんを訪ねたことがあり、それが初対面でした。禅問答のような荒川さんの質問攻めに私たちはたじたじでしたが、彼は詩人への共感もお持ちで(なにしろ、詩人のマドリン・ギンズさんがパートナーですから)、不思議に勇気づけられたようなところもあったんですね。
それからというもの、荒川さんから課せられた宿題を提出する気分で、あの養老天命反転地に出かけて詩を書いたり、「現代思想」に私としては長文の荒川論を発表したり、『建築する身体』という荒川さんの本の書評をやらせてもらったり、そもそも、荒川さんがわが先師渋沢孝輔さんと友人であった関係から、渋沢夫人と私と荒川さんの三人で会ったこともあります。
ここでは、数年前、三鷹の天命反転住宅を訪れたときに書いた詩を掲げておきましょう。初出は雑誌「水声通信」の荒川修作特集でした。なお、ボールド部分はランボー「感覚」より、イタリック部分は「三鷹天命反転住宅使用法」よりの引用です。


荒川ランボー交響

        • 三鷹天命反転住宅を経めぐりながら書いた詩

夏の青い夕暮れに、
ぼくは小径を行くだろう、
そのぼくをなぜか思い出しながら、
わたくしは訪れた、東京西郊のとある駅から歩いて、
たくさんの家や木立を過ぎたあと、
お、カラフル、
虹の帯が降り立ったような、
降り立って複雑に分岐し絡まり合い、
そのまま外回りの壁やパイプラインの色となった、
というような、これもまた家だろうか、
入る前には、必ずノックし
それからあらゆる方向からくる音に耳を傾けましょう
閾をまたいですぐ、驚かされたのは、
砂とモルタルでできたでこぼこだらけの床、
そこを歩き始めて、あ、
足うらがざわざわ、活を入れられたように思われ、
生きうる、生きうる、
(以下次回)