荒川ランボー交響(その2)

それはさながら、麦の穂にちくちく刺されながら
野の草を踏みに行くのと変わらない、
夢見るぼくは、足うらに草のひんやりを感じるだろう
そのぼくのように、
生きうる、生きうる、
あるいは音楽だ、床の小山は、
これからキーボードとなっていくものなのです
足うらからわたくしの腱や筋へ、そのまた深部へ、
たしかにそれ自体生きもののような無音の音が流れ込んでくる、
へびの音、うさぎの音、いやそれ以上だ、
月ごとにいろいろな動物のふりをして
住戸内を動きまわりましょう
勾配のある床は身体のバランスを多様にするから、
ときには四つん這いですすむのもよい、
そのようにしてわたくしは、青い、
吸い込まれそうに青い、卵のかたちをした部屋に入る、
今度はどんな姿勢がふさわしいだろう、
ねそべる、すわる、立つ、
いや、いちばんふさわしいのは胎児のように丸まること、
かもしれない、母のくぼみ、
虚ろなる母のくぼみ、わたくしはそこで、
みずからも卵となり、卵のなかに、
幾筋も幾筋も、身体の始原のような、
未分化な生成の流れを走らせるのだ、
かつてのぼくも、吹く風にあらわな頭をなぶらせるがままに
歩いていったのではなかったか、
部屋の外に出た、
あ、流れ、
流れもついてきている、
プールから上がった泳者のからだをつたい落ちる、
水のしたたりのように、
生きうる、生きうる、
(以下次回)