荒川ランボー交響(その3)
わたくしとはたとえば、はじめての身体の者だ、
ほかのどの家にもまして生き生きと、
降り立つ虹によぎられて、
日々あらたに身体はめざめるほかなく、
目覚めた時、
周囲の明るい空気の流れが丘や谷を作っていること、
またそれが渦巻く輪郭を形成していること、
さらにわたくしは、降りてくる天井、
まるい畳の部屋を経めぐりながら、
一〇〇歳の老人の、
二度目の幼年が始まるかのようだ、
ぼくはもう何も話さない、何も考えない、
でも無限の愛が、ぼくの魂のなかを立ち昇るだろう、
わたくしもまた、何も話さない、何も考えない、
接触が、揺動が、わたくしを考えていてくれるから、
これはもう、居ながらの脱出ではないか、
遠く、どこまでも遠く、ぼくは行くだろう、ジプシーのように、
自然のなかを、女を連れているように心楽しく、
だがそのぼくとちがって、
これらの鮮やかな色とかたちの立体群の感覚を、
どうしたらヘレン・ケラーに伝えられるか、
わたくしは、ここにとどまる、
とどまりながら、無限へと、
死なないための方法へと、夏の青い夕暮れに、
夏の青い夕暮れに。
いかがだったでしょうか。詩にもなっていいないような、理屈っぽいテクストですけど、これをもって荒川さんへの追悼の言葉にしたいと思います。合掌。