アメリカの詩人フォレスト・ガンダー氏を迎えて

さる10月下旬、アメリカの詩人フォレスト・ガンダー氏が来日しました。たった一週間という短い滞在でしたが、私にとっては忘れ得ぬ交流の日々となりました。
まず10月26日、彼はなんと、大阪まで私どもの公演「UTUTU/2010」(サンケイホールブリーゼ)を観に来てくれました。この公演は、フラメンコの野村真里子(私の妻です)がコンテンポラリーダンス伊藤キム氏を迎えてコラボレーションを行うというもので、私もテクストの提供のほか、ほんのちょっと朗読で出ています。舞台がはねたあと、ホールで彼を見かけて駆け寄ると、初対面だというのに、まるで年来の友人同士のようにハグしてくれました。彼の詩(「現代詩手帖」11月号に載っています)を読んで詩人としての共通の匂いのようなものは感じ取っていたんですけど、会ってみると、思っていた通りのシンパシーあふれる人物だったわけです。
29日は、招聘元の慶応大学で、彼を囲むポエトリー・リーディングが行われました。企画したのは慶応大学文学部の吉田恭子助教授。彼女は英語で創作する作家でもあり、ガンダー氏とも旧知の仲です。他の参加詩人は、私のほかに、フランスからフランク・ヴィラン、日本から永井真理子、中保佐和子(ふたりとも英語が使用言語です)といった面々。「言語を横断する試み」と銘打たれる朗読会だけあって、英語、フランス語、日本語が飛び交うなか、ガンダー氏は、iPadにテクストを流しながら、魅力あふれる朗読を披露しました。
そして30日、早稲田奉仕園で、日本現代詩人会国際交流「アメリカの詩人フォレスト・ガンダー氏を迎えて」。実は私が担当理事で、司会役を務めました。あいにくの台風接近で、3、40人ぐらいしか人は集まりませんでしたが、内容はとても濃い、刺激的なものになりました。
吉田恭子さんによるイントロダクションのあと、「日本におけるベンヤミン」と題された彼の講演が始まりました。ベンヤミンとは、もちろんあの「翻訳者の使命」のヴァルター・ベンヤミンですけど、じゃあ「日本における」ってどういう意味? と私は興味津々でしたが、おそらく、いくぶんかのユーモアとアイロニーを込めて、「日本におけるベンヤミン」とは、半分は彼自身のことなのでしょうね。というのも、彼はスペイン語圏の詩を中心に翻訳の仕事もたくさんしており、おまけに日本語まで勉強していて(ついでにいえば、来年刊行される私の英訳詩集は吉田恭子さんと彼との共訳です)、そういう彼が来日したのですから。講演の内容は「現代詩手帖」2月号に掲載予定なので、詳しくはそれを読んでいただくとして、そのあとの自作詩朗読もすばらしく、圧巻は「拓かれた空間」という代表作。鉱物の名をちりばめた、ちょっと宮沢賢治を思わせる詩で、知性と野性が融合したアメリカ詩の息吹というものを大いに感じさせてくれました。横から私も日本語訳(山内功一郎・向山守訳)を朗読したのですが、ともに詩を生きるという興奮を禁じ得ませんでした。