木の王に会う(その2)

でも、樹木に関してひとつだけ言いたいことがあります。フランスにかぎらず、ヨーロッパや北米にはオークの木がたくさん生えていますが、日本人はあれをなんで樫と訳してしまうんでしょうね。ウイスキーを寝かせるオークの樽が樫の樽になってしまうし、競馬のオークスに勝った牝馬は樫の女王。まあそれはいいとしても、学生のころ、ロシア文学の誰だったかの小説を読んでいて、テロリストが樫の木の下で休むという場面があったのですが、舞台は北辺の都サンクトペテルブルグなのになんで樫の木があるんだろうと不思議に思ったことがあります。
というのは、日本で樫といえば、シラカシとかアラカシとか、東北以南の暖地に生える常緑木であって、私は埼玉の農家の生まれで家のまわりはぐるりと屋敷森に囲まれていましたが、その主要な樹木がケヤキシラカシケヤキは落葉樹で冬には箒を逆さに立てたような裸木となり、そのあいだにこんもりと常緑の葉むらを保っていたのがシラカシつまり樫にほかならず、それはもう間違いようがなく忘れようもありません。
後年わかりました。サンクトペテルブルグに樫が生えていたわけ、たぶんそれもオークにあたるロシア語を樫と訳していたからなのでしょう。実際のオーク、フランス語ではシェーヌといいますが、その呼び名をもつ木は、同じブナ科とはいえ樫とは似ても似つかぬといってもよい落葉高木であって、日本には生えていませんが、葉は柏餅をつつむあの柏そっくりを小さくした形、ただし木そのものはずっと大木巨木になりますから柏ともいえず、まあ強いていうなら楢、コナラとかミズナラとかのあの楢でしょう。翻訳においてオークはオークのまま、あるいはせめて樫ではなく楢と訳すべきなのです。
フランスの森に行って、そのオークに対面を果たしたときの感激、くだらないゆえにそれもまた忘れることができません。長いあいだ心に思い描いてきた憧れの人に、ようやくめぐり会えたというような。なぜかオークはあまり街路樹としては使われてなくて、それを見るには自然林のようなところに行かなければならず、パリでいえばその東西の端にあるヴァンセンヌとブーローニュというふたつの森ですね、私もブーローニュの森に行って対面を果たしたというわけです。
それはともかく、ヨーロッパ文化のなかでオークの占める位置は大きく、日本でいえばちょうど松にあたるでしょうか、木の王と呼ばれることもあるくらいで、その堂々とした樹形、その豊かに茂った葉むら、そのいかにも堅そうな幹(堅い木=樫ということならまさにその通りですが)などをみていると、なるほどどんな風雪にも耐えられそうな王者の風格をそなえているような気がしてきて、思わず跪きそうになったほどです。しかしそれにしても、たかが木に会ったぐらいでその木にこんなにも心を開いてしまうのですから、自分で言うのも何ですけど、やはり私はよくも悪くも一介の詩人でしかないようです。トホホ。