全米朗読ツアー(その3)

ニューヨークからシカゴに飛び、さらにそこでプロペラ機に乗り換えて、中西部の学園都アイオワシティへ。そこが三番目の訪問地でした。6年前、アイオワ大学のIWP(国際創作プログラム)のフェロー(恭子さんもそうでした)として滞在して以来の再訪です。なんというなつかしさ。
午後、朗読のまえに、恭子さんと一緒に、IWPのオフィスがあるシャンボーハウスに赴くと、ディレクターのクリスは海外出張で不在でしたが、教授のナターシャと再会、彼女が担当している翻訳のクラスに顔を出しました。というのも、私の詩「そして豚小屋」がその日のテクストになっていて、恭子さんがその英訳のプロセスや問題点をプレゼンすることになっていたからです。私も作者としていろいろ質問されました。たとえば、豚小屋と主体を結びつけるのはアメリカではおよそ考えられないショッキングなことだが、どうしてそういうことになったのか。私は答えました。豚小屋というのは、農家に生まれた私にとっては性や排泄が集約されている特権的な場所ですけど、文学とは、つきつめれば自己の誕生をどう捉えるかということでしょうから、そういう場合にまさに豚小屋のイメージがぴったりなんですね。また、母の死をモチーフにしたこの奇妙な詩は、はるかに斎藤茂吉の「死にたまふ母」連作をふまえており、日本語シンタックスの揺らぎをつくりだしながら、ある意味で短歌的抒情の脱構築をめざしていいます、というようなことも述べました。
夜、ダウンタウンにあるプレーリーライト書店で朗読パフォーマンス。比較文学のニコラス・タイソン教授によるイントロダクションのあと、日本語原文(私)と英訳(恭子さん)で、「そして豚小屋」「散文考」「ゆるやかな蝶番」「デジャヴュ街道」の4篇が読まれました。言語実験の小篇「ゆるやかな蝶番」がどのように英訳されたか、その一部を掲げておきます。

消え去るのをはばたいて私は鳥がみた
狂念もうこれっきりと
消え去るのを鳥がみた私ははばたいて

fluttering I’ ve gone from sight seeing a bird
reverie enough
fluttering seen a bird gone from sight I’ ve

終わって、ナターシャが近くのビストロに関係者を連れて行き、打ち上げの会食。私も恭子さんも、ナターシャにとっては教え子のようなもので、それがこんなふうに戻ってきてくれたのだから、うれしくてたまらないというふうでした。別れぎわ、彼女はもう泣き出しそうな顔になっていました。